未来の福祉
社会福祉法人みその児童福祉会
理事長 江草安彦
私は約60年にわたって福祉現場で過ごして来た。その間、国レベル、府県レベルでも様々の福祉関係の審議会に出席し行政の一面も見てきた。この60年を振り返ってみると、はじめの40年は福祉の充実とは福祉施設の増設であると思うほど施設づくり中心であったように思う。障害をもつ人と家族の希望はもちろんであったが、福祉関係者、行政関係者は揃って施設整備を期待したし努力を続けた。こうして各地で施設整備が競ってすすめられた。これには国や地方自治体もこれを可能にする財政力があったからだと言える。整備される福祉施設の種類もそれぞれの時代によって変化してきた。社会の求める変化をキャッチして、まず保育所や養護施設などの福祉施設が整備され、やがて各種の障害者施設の整備が続き、さらに高齢者施設整備へと重心が移動してきた。福祉の基盤である市民の福祉思想の成熟、これに伴う福祉サービスのあり方の主体的なプランがすすめられるようになった。加えてこれを可能とする国、自治体の財政力の強さが福祉施設の整備、福祉システムの体系化を可能にした。当然、福祉サービスを支えるには専門職員の養成が必要である。これなしには福祉サービスは絵にかいた餅であるだけではなく福祉サービスの質が問題という意識が高まってきた。人材育成は大きな柱となった。
そこで、各地に福祉専門職を養成する各種の大学が設立されてきた。その上、現任教育、各種資格制度もつくられた。やがて施設のあり方も、それぞれの施設が単独で活動するだけではなく専門的福祉サービスをしっかりと持っている福祉施設は各施設を核とした「共生社会」の実現を目指す方向に向かってきている。まさに右肩あがりの状態であった。だが、この状態はいつまでも続くわけではない。今日は一大転換期が到来してきた。この転換期の到来を福祉現場にいる私たちは、ボディーブローを受けはじめているという受け取り方をしていると思うが現実は深刻なのである。人間生活ことに福祉は時代の変化にともなって大きく変わらねばならない。時代の変化をとらえきれないと福祉現場は市民から見放されるだろう。人口構造の変化、即ち少子・高齢さらにこれに加えて人口減少という一大転換期を迎えている。そうなると家族構造、地域構造も今まで経験したことのないものになる。福祉需要も大きく変化し、その上経済活動の空洞化は深刻である。福祉の基盤であるわが国の財政も危機的と言われている。従来のような福祉予算の支出も期待しがたい。抜本的な改革をすすめざるを得ないだろう。福祉のあり方も変わらざるを得ない。福祉サービスに従事する者としてはこうしたわが国の大きな潮流に加えてそれぞれの施設の所在する各地の人口構造、医療福祉事情などの地域特性に十分に目配りをし、多方面から社会福祉のあり方について総合的に判断して金太郎飴のような対応をするのでなく各施設ごとに個性的な独自な地域の共生社会づくりの先頭であるようめざさねばならない。つねにチャレンジャーとして創造者としての態度が必要だろう。これが第一である。過去の成功体験はほとんど役に立たない。発想の転換が必要である。この道は、きわめて困難であるがそれを成しとげてこそ福祉施設なのである。
農山村で「本当の豊かさ」を実現するために各地に色々な取り組みがすすめられている。しかし、いずれも苦戦を続けているのが実情であろう。ことに「限界集落」は深刻である。そこでは生活の基盤である福祉医療に大きな課題がある。もちろん、農業も危機的な状況にある。その中に「里山資本主義」の考え方で輝く暮らしを実現している人々の地方がある。チベットの山国、ブータンは独得の幸福感をもっているという。それとわれわれの施設経営とは全く違うものであるが、違わないのは「愚痴を言っても解決にならない発想の見直し」という点で一致する。この発想が今日の福祉界に求められている。まさに「里山資本主義」を実践している農山村の発想の転換に学ぶべきであろう。私の観察では発想の転換はまずリーダーの発想の転換からはじまっている。これに地域住民がついて行っている。福祉もリーダーによって転換の成否が決まると言って良いだろう。法人理事長、役員、施設長の発想の転換が大切である。福祉もチャレンジすべきであろう。
これに加えて第二にはスピードの必要性である。十年一昔と言われているが今では三年一昔と言いかえたらどうだろうか。過去の生活体験にとらわれない方がよい。重視すべきは失敗体験であるかも知れない。過去の成功体験は新しい状況のなかではほとんど通用しないであろう。創造的な発想でスピーディーに着手し、たえず微調整を繰り返しながら、地域が求めるサービスを用意することが大切だろう。
※この論文は、社会福祉法人全国社会福祉協議会発行の「経営協」4月号(2014vol.367)に掲載された文書を転載しています。